南高麗スポーツ協会のあゆみ

 小学校及び青年団、その他の団体が合同で行う秋の大運動会は戦前から華々しく開催されていた。終戦後も中学校の参加を得て復活し盛大に開催されていたが、地域住民が直接競技に参加するという形はとられていなかった。

 当時、既に町では町民体育祭が何回か開催されていたが、地元には組織もなく交通の便も悪いため縁遠い存在であった。

 そんな中、昭和27年10月9日、飯能町体育協会名で理事会開催の招請状が南高麗出張所に届けられた。その中の会則に、南高麗を第11支部として置くということが定められていることを知り、折からのスポーツ愛好熱の高まりとも相まって、好機の到来と判断した当時の南高麗中学校の加藤一校長を中心に、学校の体育主任、出張所職員、各団体代表者等が寄り合い、南高麗体育協会発起人会をつくり、諸準備を整える作業に着手した。

 そして、同年10月24日、当時の自治会長、婦人会、青年団、消防団、小・中学校、農協、出張所等から理事となるべき人々を南高麗中学校に招いて賛同を得、「南高麗体育協会」の誕生を確認した。当時参集した人々は24名で、そのまま初代理事に就任することを承認し合った。

 ついで10月27日、第1回理事会を開催し、会則を審議し、初代会長に市川宗貞氏を推薦して決定、南高麗体育協会が正式に発足した。

 この会議ではまた、町民体育大会への初参加をも決議し、直ちに選手の選考を行い、翌11月3日に挙行された第3回町民体育大会に初参加した。成績はいま一つであったが、中央の大会に選手を初めて派遣したという歴史的な出来事であった。

 約半月ほどの間に体育協会を設立させ、町民体育大会への参加にまでこぎつけた関係者の熱意には敬服の念を抱かざるを得ない。

 一方、地区住民の間にも体育協会の趣旨は徐々に浸透し、翌昭和26年の10月には、青年団のリーダーシップのもと、初の体育祭を開催することができた。

 昭和32年には会長杯、副会長杯の寄付を受け、8地区対抗競技はますます活気を帯びていった。

 翌34年は台風の被害が甚だしく、地区体育祭は中止をやむなきに至ったが、その後は現在まで順調に開催されている。

 町民体育大会では参加2回目にして第3位入賞という快挙を成し遂げ、また、この年の奥武蔵駅伝競走大会では青年団チームが同じく第3位入賞をした。更に翌29年の町民体育大会でも第3位に入賞し、南高麗体育協会の名を全町的に高めた。

 昭和34年6月7日には、第1回10マイルロードレース大会が南高麗を折り返し点として開催された。青森・東京間都県対抗駅伝の選手強化の目的も含めて県の陸協が力を入れていたこの大会は、農繁期に実施されたが、沿道の住民は監査役も兼ね選手たちに声援を送った。しかし、残念ながら畑峠の交通事情の悪化により、この大会は他地区への移転を余儀なくされた。

 地元における活動の充実と並行して、市民体育祭での活躍にも目覚ましいものがあった。とりわけ昭和38年には第15回市民体育祭において、栄ある総合優勝を勝ち取った。このことは、当協会の長い歴史の中でも、まさしく特筆すべき偉業である。なお、昭和40年、46年にも第3位という好成績を収めている。

 昭和40年代は各地区でソフトボール熱が高まり、年を追って盛んになっていった時期でもある。その流れの中で、当協会でも昭和48年11月11日、南高麗壮年ソフトボール大会を開催した。以後、毎年大会は盛大に開催されていったが、平成時代に入り、大会はチームやメンバー数の減少といった問題を抱えながらも、南高麗ソフトボール連盟役員の努力に支えられ、春と秋の恒例行事として定着し現在に至っている。

 昭和50年代に入ると、この間の著しい経済発展によってもたらされた市民生活の向上、体育・レクリエーションに対する関心の高まりを背景に、当協会がかかわる事業の内容の更なる充実と、多様な事業展開が求められるようになった。

 それらの地域の要望に応える形で、ゲートボール大会や卓球大会、陽だまりオリエンテーリング大会等の多彩な事業が開催されていった。また、昭和55年には、飯能市体育指導員協議会の指導により、壮年体力テストを新規に実施した。この事業は昭和57年まで続けられ、近年活発に企画されるようになった他の関係団体との共催事業の先駆けとなった。

 昭和57年には、恒例の盆踊り大会が自治連南高麗支部主催から当協会主催に切り替わり、当協会のレクリエーションの分野における役割が一層増大した。

 時代は平成に入り、長年高齢者に楽しまれたいたゲートボールに代わり、新たに個人競技であるグラウンドゴルフ大会が盛んに行われるようになり、当協会でも主催事業の一つとしてグラウンドゴルフ大会を開催するようになった。

 平成5年には、地区体育祭にそれまで以上に大勢の地域住民の参加をいただくために、企画委員会が設置された。なお、この企画委員会は当協会が平成17年に制度化した常任理事会に引き継がれた。

 

 平成18年には、市民健康ウオーキングの高まりの中、南高麗のウオーキング事業名を「南高麗ワンデーウオーキング」と改称し、地区外からも参加者が多くなり、魅力のあるウオーキング大会となっていった。また、ゴール地点では南高麗まちづくり推進委員会の協力で、参加者にトン汁のサービスも行われており、おもてなしの心で参加者を歓迎している。

 平成24年度10月には、南高麗体育協会が創立60周年を迎え、南高麗の各種団体の協力を得て実行委員会を組織し、他地区とのスポーツ交流大会や記念祝賀会をはじめ、60周年記念誌の発刊など数々の記念事業を展開した。

《主な事業》

〇地区体育祭

 当協会の事業として最も規模が大きく。地域全体にとってもメインとなる体育行事で毎年盛大に開催されている。社会体育の振興・発展はもとより、地域住民に対しては貴重なコミュニケーションの場を提供している。なお、昭和51年から市民体育祭の地区大会として運営されている。また、平成13年度からは、名称を「南高麗地域大運動会」として小学校の運動会と合同で開催されている。

〇グラウンドゴルフ大会

 昭和61年から実施されている事業で、現在は春と秋の年2回開催されている。毎回70名から80名程度の参加があり、地域に根付いた軽スポーツの行事になっている。

〇奥武蔵駅伝競走大会への参加

 昭和28年から30年代半ば頃まで参加を続けてきたが、諸々の事情からその後しばらく不参加であった。しかし、昭和58年に再び参加することを決め、選手派遣費の特別寄付も受け、一般の部に2チーム出場することができた。現在は、選手選考の困難はあるものの、なんとか出場を続けている。

〇納涼盆踊り大会

 地域が一体となって夏の夜を楽しく過ごすこの大会は、平成57年から当協会の主催で開催されてきたが、諸般の事情から平成10年に至って中止せざるを得なくなった。しかし、その代替事業として、同年「歩け!歩け!南こまウオッチング」を開催した。心身のリフレッシュはもちろん、地域の再発見にも結び付くこの事業には50名を超える参加が得られた。この大会はその後の現在「南高麗ワンデーウオーク大会」に引き継がれた格好となった。